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2007年1月28日 (日)

ぼんやりと、人生設計をしている。藤井が渡英の夢を実現すべく頑張っているのに影響されたのかもしれない。
我が人生設計を、今ここでつまびらかにするつもりはない。それに、人生設計といってもせいぜい五年先までである。何十年も先のことを考えたって、その頃にはたいてい考えや思想が変わっているだろう。これは予測ではない、夢なのだ。
俺は今、十代である。だから、二十代までしか生きられないつもりで夢を見て、行動する。二十代になったら、三十代までしか生きられないつもりで生きるのだろう。
そういう気持ちでなければ、よもや夢など叶えられるはずもない。シュリーマンは稀有な例だろう。
いや、シュリーマンこそ、夢のために「今できること」を模索し、動き続けた男なのではないか。シュリーマンはきっと、自分が商売で成功して金を儲ける度に、全てが少年の頃からの夢だったトロイア発掘のためになると感じていたのだろう。イチロー少年が、素振り一回一回が将来のプロになる夢に繋がると信じてバットを振り続けたように。
踏み出すことである。動き出すことである。何年か後に何々するんだ、なんて言ってる奴を見ると笑ってしまう。今何ができるか、今何をしているか。それが一番大事なのだ。
そして俺はひたすら読みまくって書きまくっている。未来に繋がると信じて。

2007年1月27日 (土)

I WANT

詩人になりたい
旅人になりたい
宗教家になりたい
哲学者になりたい
神仙になりたい
転がる石になりたい
出家したい
飛びたい
包まれたい
大笑いしたい
その笑いで宇宙を呑み込みたい
風になりたい
ドロンしたい
線路に沿ってひたすら歩きたい
異国で故郷を唄いたい
魚のように泳ぎたい
馬のように駆けたい
疲れたら水を飲みたい
モンゴルの大草原で寝そべりたい
自分が出せる最大の叫び声を聞きたい
誰かを好きと言いたい
何かを好きと言いたい
誰かを欲しいと言いたい
何かを欲しいと言いたい
君だと言いたい
悟れたら悟りたい
歴史のように60年を生きたい
真っ当に生きたら真っ当に死にたい
タオと合体したい
未知こそ我が道と言いたい
太陽にわかってもらいたい
音楽を止めないでいたい
今まで会った全ての人に存在を叫びたい
世界の神秘の輪を回しだい
信実の勝利を叫びたい
頭から足まで貫く何かが欲しい
足の指先に大地を感じたい
歩きたい
どこまでも歩いてゆきたい
そう、君と
歩こうよ、さあ。

2007年1月22日 (月)

祝いの本質

空海について勉強している。勉強の成果には後日触れたいが、空海の思想は東洋思想のひとつの頂点であり、俺達が学校でチョロッと習うようなスケールの人物ではないということだ。
多分、密教は一神教でも多神教でもない。森羅万象を大日如来の化現とするような、一が多になり多が一になるという伸縮自在の性質がある。
もしかしたら、空海を学んでいるということは、俺の今までの思想勉強から考えて、かなり幸運な流れなのかもしれない。

今日、とある友達の誕生日であった。正直、俺の中には人の誕生日を祝うという風習は浸透していない。そもそも他人の誕生日なんかに興味なんかないし、どれだけ仲良くても、たかが一年、歳を重ねたぐらいで心から祝う気にはなれない。合格祝いや結婚式ならいざ知らず。
しかし、俺は自ら、誕生日を祝う計画に立ち会った。それは、誕生日という機会を利用して、その友達に改めてねぎらいの言葉をかけ、今までの感謝をしようという心からであった。
つまり、祝ったのは友達の誕生日ではなく、いつもの友達を改めて祝っただけである。そして、それは誕生日を祝うことよりも、よっぽど美しい。
人は皆、身近な人を祝うことを忘れたり、恥ずかしがって敬遠しがちである。しかし、本来祝うとはもっと身近な、自然なことであるはずだ。
心からの思いを、コト(言)やコト(事) に乗せて届けるという、古代から続く言霊によるオーラル・コミュニケーションの技術。祝は呪と同義であり、すなわち口から思いを発するということだ。
そんな古代からの習慣を、日本人はいつしか忘れてしまった。だから、クリスマスや正月や誕生日などなど、何かにつけて祝うのである。
言葉の持つ呪力を言霊というが、その言霊を相手にぶつけるという祝いの行為は、その相手を加護しようという意志を表す。
そう、俺達は、大切な人を大切にするため、祝うのだ。大切な人を大切にするため、祝うのだ。

2007年1月21日 (日)

今日の思索

世代とは何なのだろう。時代とは何なのだろう。

60年代、フーは「俺たちの世代を話そうぜ」と歌い、その歌「マイ・ジェネレーション」は世代の歌となった。ビートルズの「愛こそはすべて」は高らかに歌われ、ラヴ&ピースの象徴となった。
70年代、「アナーキー・イン・ザ・UK」が不況の時代の若者たちの歌となり、「イマジン」がアメリカに歌われた。

俺たちの世代の歌はあるのだろうか。俺たちの世代を歌う人はいるのだろうか。何のために歌を歌うのだろうか。

1989年、チェコスロバキアのビロード革命の際、68年のプラハの春の時に録音されたマルタ・クビショヴァーによる「ヘイ・ジュード」が、再び歌われた。人々は歌に励まされ、ついに革命を実現した。

この世には、既に死んだ歌の方が多くある。しかし、歌は蘇る。それを誰かが歌い続ける限り。

2007年1月17日 (水)

仕切り直し

前にも書いた通り、段々と探求するテーマが定まってきた。
そこで、このブログはそのための表現・思索の場とすることにした。だから現在目下改造中である。
名称も変更した。EARTH BLUES。そこにはいくつかの意味を込めた。
日本人から地球人としての自覚のスライド。視野と意識の拡大。
地球環境への認識。
西洋思想への危惧と東洋思想の可能性。両者、すなわち地球思想を学ぶこと。
ここは学ぶ人へのインスピレーションの場である。学ばない人は軽蔑の対象である。
学びは疑問から生まれる。自分に疑問を持つ者よ。生き方に疑問を持つ者よ。日本に疑問を持つ者よ。世界に疑問を持つ者よ。みな学ぶべき者たちだ。
さあ思想を感得し、歴史の暗部を認識せよ。信念を行動し、世界の暗部を糾弾せよ。

2007年1月12日 (金)

ぼくの思想史

思想史といっても、思想の変遷ではない。どんな思想の影響を受けてきたか、ということである。

小学校時代はエコロジー思想の洗礼を受けた。地球は一個の生命体であること、俺たちは生かされているということ、現代文明の危機…
折しも、当時はゴミ問題が盛んに喧伝され始めた頃合であった。
小学校高学年から中学にかけては、祖父の影響もあり東洋思想を学んだ。特に中国の漢籍をむさぼり読んだ。当時は意味がわからないこともあったので、最近よく読み直している。
特に影響を受けたのが老荘の思想、易学、孫子などだ。史書も読んだ。
この体験はその後の流れを決定づけたと言える。陰陽道、仏教、神道、日本史などは全てこの流れだ。
中国思想と日本思想はよく学んだが、インド思想はあんまりだったので、最近研究し始めた。
東洋思想の研究を通じて、東洋的なものの考え方が頭に染み付いたといえる。思想を実践できているかどうかは甚だ疑問であるが、歴史に目を向けたのはひとつの実践であると言える。
中学後半から高校前半はジプシー思想に影響を受けた。これはキッカケは日本史を学んでいて、日本史の闇、暗部というものに気がついたことが始まりだ。
平将門のような反乱者や役行者のような宗教者に興味があったが、将門と関東の渡来人、忍者、陰陽師。役行者と山伏、山人、鬼…史上に見え隠れするその影が興味を誘い、古代史や民俗学へ向かうことにもなった。
五木寛之の小説を読んでサンカやジプシーなど放浪者へのロマンを強く感じたのも大きな要因だ。
縄文に東北にアイヌに沖縄、スサノオ的なものの流れ。マイノリティと旅。
この思想は今までになく俺の心を強く打った。今まで学んできたことがこの感情と混ざり合い、ドロドロと渦を巻く。
常にオカルト的な領域と隣り合わせであったことも関係があるだろう。老荘は神仙道に通じ、仏教は密教呪術、陰陽道や修験道はオカルトそのままとも言え、歴史でも正史に対しての異史のようなもの、古史古伝や超古代史にも関心があった。
こうした闇の領域の存在を知覚することも、根源的な何かを探すには必要であろう。
そう、根源的なものへ。これは知らず知らずに歩んで来た道であり、ただ今の目標である。
現在影響を受けているのがアメリカインディアンの思想であるが、ここに至って俺の今までの歩みが根源的なものへと向かっていることが明確に知覚される。
エコロジーから東洋思想、東洋からジプシー、ジプシーからインディアン。徐々に原始的なものへと歩んでいっている。
あとは、書物を読み返し読み返し、もっと思想を体に染みつかせ実践を意識することと、書を捨てて外へ出て自分の目で世界を見つめること。
この二つを行えば、少しは真理へ近づけるのかもしれない。
これが、俺の使命なんじゃないだろうか。偶然にも、こんな風変わりな道を、しかも秩序だって順序よく学んでこれたことへの感謝と、ひとつの返答をすること。
読者すること、史書と漢籍を学ぶことを教えてくれた母方の祖父には感謝したい。それと父の趣味趣向も俺の血肉となっているのだから、父の影響も看過できない。

2007年1月11日 (木)

思い

伝えたいたいことが そりゃ僕にだってあるんだ ただ笑ってるけれど
伝えたいたいことは 言葉にしたくはないんだ そしたらどうしたらいいのさ?

民生は『CUSTOM』をそう歌い出す。
俺たちには伝えたいたいことがあるのだろうか。俺には伝えたいたいことがあるのだろうか。

そこで目を閉じて 黙って 閃いて 気持ち込めて
適当なタイトルで ギターを弾いてみました

頭の中が 見せられるなら見せるんだ ただ笑ってるだけですむのさ

だから目を閉じて 気取って 間違えて 汗をかいて
あやふやな ハミングで 歌を歌ってみました

叫びました

俺はブルースが大好きで、60sの雰囲気が大好きで。その良さが少しでも伝わったら、それは良いことを伝えられたな、ってことになる。
音楽にしろ文学にしろ、映画にしろ美術にしろ。ウェブサイトにしろブログにしろ、ラブレターにしろ電話にしろ。
伝えたいたいことがあるのだ。うまく伝えるためにはエネルギーがいる。全ては真剣勝負なのだ。
もう一つ。伝えるものは思想とか考えとか良い悪いだとかに限らない。感情を共有することもできるのだ。
例えば、ライブでたまにうまくいくと、非常な一体感、自由を感じることがある。強烈な電撃のような自由の感覚。その訪れには歓喜をおぼえる。
ギターを弾いて歌っている、その瞬間が無敵のように感じられる。
そういう感覚、自由を共有したい。みんなで自由を歌いたい。

誰か 誰か 見ててくれないか
誰か 誰か 聞いてくれないか
声が 音が 空に 浮かんで
届け 届け 響け そう響け
雨と 風と 君の 歌だぜ
愛と 恋と 僕の 歌だぜ
アメリカ ジャマイカ インドネシア エチオピア
山と 海と 飛び越え 鳴らせ
彼方へ 飛ばせ

届いてる?

2007年1月 9日 (火)

アスファルトをめくったら

おやしらずに二度目の新曲を作った。今度は古いボサ・ノヴァのアレンジである。セルジオ・メンデスのバージョンを下敷にした。
なかなか軽妙なボサロックに仕上がった。
ボサロック。これは極めたら凄そうなジャンルである。傾倒してみようか。
ギターが完全にリズムの主導権を握るところが実に面白い。リードギターの方は音色勝負の泣かせ役である。もしくは乱舞するピアノの右手である。

2007年1月 8日 (月)

2006年

運命を変えた一年であった。
四月の、マザーズとしての初ライブ。ここに至るまで、俺は加藤と半年を費やした。
このバンドは、俺にロックンロールの熱狂と音楽的なステップアップを授けてくれた。バンドの五人は全員、バンドにより運命を変えられただろう。
しかし、この初期衝動の固まりは、半年の時間を一夜にして燃焼し、こなごなになった。これは避けられないことで、ことさら悲しむ者はいなかった。
このバンドのときに、俺は藤井と再会した。もとより中学時代から仲が良かったが、高校に入ってお互い忙しく、ほとんど会う機会もなかったのだ。
しかし、俺が加藤とバンドを作ろうとしてもなかなか進まず、埒があかないので藤井を誘った。
そしてそれから、一年間歩みを同じくすることになる。もともと音楽の趣味が合い、旧知の仲でありウマも合うのでここまで来れたのだ。
俺達は息を合わせ、お互いを助け合い利用し合いながら苦難を乗り越えた。思えばそう、苦難に満ちていた。
この一年を通して非常な行動力を培った。全ては自分の方から世界に働きかけないと、世界は動かない。藤井をバンドに誘ったときも、新しくバンドを始めたときも、どんどんライブに出ていったときも、とにかく自分から外へベクトルを向けた。
この一年、クラスなどで良い友達を見つけることはなかったが、バンドを通して様々な人と出会い、仲良くなった。一年の時のクラスの親友とも、一年を置いてお互いを見つめ直し、友情を再発見した。
まったく恵まれていたと言えよう。こんなにもすばらしいことが豊富にあったなんて。
未知の世界に飛び込み、いろんなことを経験する――生き方にも影響を及ぼしそうな一年であった。
どこか知らない土地を旅して来たような、そんな一年であった。
運命を変えた一年であった。

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