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2007年6月23日 (土)

反抗と革命

五木寛之の『デラシネの旗』を読み終えた。予想していた挫折感はなく、爽やかな読後感だった。
革命というテーマ、それは長いこと自分の血液を巡っていて、それなりに物がわかってきても、どうしても根幹は抜け出せずにいる。
思えば自分の遍歴の根底には、常にこうしたアナーキズムが存在していたように思う。中学時代のロック・ミュージック黄金期の衝撃、アメリカン・ニューシネマの反逆心、柳田国男の言う非常民・山人への興味、網野善彦の言う中世の「悪党」たち、修験道、平将門、そして「縄文文化」の“非日本性”というこれら日本のアナーキズム、沖縄の歴史を学んだが、それにも熱くなった、特にアルチュール・ランボーであった退廃の近代フランス文学にも惹かれ、パリ・コミューン、レジスタンス、パリ5月革命にも当然興味が行き、高校に入ってからは太宰治を片っ端から読み、やはり『斜陽』の壮絶な「恋と革命」に打たれ、学生運動やスペイン内戦、チリのクーデターに興味を抱き、五木寛之のデラシネやジプシー精神にも惹かれ、マイノリティへの関心が爆発してアメリカ・インディアンの伝承を読み、沖縄・アイヌも改めて見直し、古代史に熱中し、音楽の趣向もブルース色の濃いものへと移り、第三世界の音楽にも興味を持ち、中原中也と寺山修司を好きになり、改めて東洋文化を見直し仏教・ジャイナ教・ヒンドゥー教に興味を持ち、哲学を志してからはプラトンの『国家』に
おける屈折した国家観に惹かれ、エピクロスールクレティウスにのアナーキズムに熱中し、ニーチェのディオニュソスに縄文文化を重ねて大いに共鳴し、マルクスには可能性を感じ続け、ゲーテや三木成夫の科学にも感心し、エコロジー思想を抱きだしてもエコロジー思想はアナーキズムを抱えていると感じているし、つまりもう自分の足取りは自分の中のアナーキズムに誘導されてきたというのに近いものがある。

もうこれが俺の宿命というなら、死ぬまでこの精神を抱き続けよう。別に恥じるつもりはない、どうせ人間には何かしら原動力がいるのだ…腹の底から突き動かされるエネルギーが。


コミュニストの赤旗でもなく、アナーキストの黒旗でもなく、俺は緑と青の旗を掲げよう。これが俺の反抗声明だ。

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