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2007年6月17日 (日)

確かなもの

年を重ねるうちに段々とわかってきたことは、この世に無批判で受け入れられるものはほとんどないということだ。

昔、まだ世界に対して知識が希薄だったころは、僕がいま学んでいるのは正しいことなんだ、僕がいま聞いたことは確かなことなんだ、と無批判にもそう信じた。

しかし今は違う。信じたものの実態をこの眼で見ると、醜い姿がそこにあったー…そういうことを何度か経験したし、確かめなくとも、調べれば怪しさを露呈するものとも何度か遭遇した。

だから結局のところ、こう結論せざるをえなかった。“この世界に確かなものは、多分ほとんどない”、と。


デカルトはあらゆるものを疑い(方法的懐疑)、結局本当に確かなものは自分がいま思惟している精神しかない(コギト・エルゴ・スム)とした。確かにデカルトがこの境地に至ったことは、理解はできずとも共感は出来る。確かなものを感じられないのだから。
人が宗教へ向かう理由も良くわかる。ある宗教の教義は、その宗教という世界の中において、絶対的に正しい、確かなものだ。だから、確かなものに触れて安心を覚えたければ、信仰を持てばいいのだろう。リルケの詩のように、神に支えられるのだ。

しかし、宗教なんかに頼らずに、もっと確かに生きていくことはできないのだろうか。それにはとにかく、絶対的なものを少しでも持つこと…なのではないだろうか。
絶対的に愛せる家族、絶対的に信頼できる友人、絶対的な自然法則、絶対的な真実…そう、この絶対的な真実を探求するものこそ、哲学だ。僕らは哲学しなければならないのである。哲学は、それを勝ち取るための戦いだ。

しかし、これら絶対的なものを持ちつつ探しつつ生きても、信仰者ほどの安静は得られないだろう。こちらはどうも不安定だ。
だが、きっとこれでいいのだ。あとはいろんなことを、一つ一つ吟味して真偽を確かめつつ、一瞬一瞬を確かに生きるしかない。そしてそれこそが、善く生きるというものではないだろうか。ねえ、ソクラテス。

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コメント

最近俺もなんかそんなようなことを考えるようになってた。でもここまで上手く文章にできません。

同じく。

同じく。


そうですね…

ヘレニズム期の…ピュロン主義だと不安定だし、かといってニヒリズムに行きたくはないし…デカルトの考えは好き
でも…考えている我が揺らぐことはないのかなって思ったりします…

ずれてますかねでもすごく考えさせられましたよ('∀')ノ

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