« Get it while you can | トップページ | 空から本 »

2007年7月 2日 (月)

デッド・フラワーズ

明日はブライアン・ジョーンズの命日。ジム・モリソンの命日でもあるが、一つの時代の命日として、あえてブライアン・ジョーンズを表に出させてもらう。


ブライアンは他殺にしろ自殺にしろ、死ぬべくして死んだとしか言いようがない、あまりにも時代と同化し過ぎていた。だから新しい時代に適応できず、進化の法則の敗残者のように散ったのだ。

ロックンロールの歴史のうち、最大の悲劇はやはりこの時代の、若く才能のあるミュージシャンたちの大量死である。
それはロックンロールを支えた土壌、つまりその時代で言えばヒッピーたちに代表される文化が、あまりにも脆く、弱かったということだ。彼らの理想主義はドラッグへの依存と資本主義への依存により成り立っていた。そうして、60年代後半のロックンロールは、その脆弱な夢遊病者を根っこにしていたのだ。そして悲劇は起こった。
ドラッグ関与が多分と見られるミュージシャンの大量死、ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン…そして、資本主義の内で完全に“ロック産業”となるワイト島フェスティバル、70年代の幕開け。


そしてブライアン・ジョーンズである。もはや個人の死ではないのだ。普遍化を余儀なくされる。いろんな言い方がなされる、“夢から覚めた”だの“飽きた”だの“大人になった”だの…確かにどれも一面を捉えているかもしれないが、しかし、彼らを切り捨てられた存在としているだけで、責任が、普遍的な責任がない。普遍的な死には普遍的な責任があってもいい。そしてそれこそがまさにヒッピーカルチャー、およびそれらを包んでいた資本主義社会であると思う。


彼らの死を思うと、蒸し暑い夏の日の、何か悲しい情景を思わせる。そして実際、それは俺を悲しませる。
思えば彼らは最初から被害者であった…資本家に才能ある金の卵と重宝され、時代が変わって捨てられた、そうとも思える。資本家が蜜を吸っていたのはヒッピー全体であったろう。若者たちの夢は、大人たちの手の中を出なかったのだ。


俺のことなど忘れてくれよ スージー
おまえはアンダーグラウンドの女王さ
毎朝 枯れた花でも送ってくれ
俺の結婚式の日に枯れた花を抱いて
祝いの言葉でも捧げてくれ
おまえの墓には 忘れずにバラを捧げてやろう
おまえの墓には 忘れずにバラを捧げてやろう


フラワーチルドレンと呼ばれたヒッピーたちは、確かにもう枯れてしまった存在だ。
でも、ブライアンの、そしてあの時代の命日ぐらいには、俺は真新しいバラを買って捧げよう、一瞬の夢だったあの時代を、しかと受け継いだと言ってやろう、お前たちの残したものは受け止めたと言ってやろう、夢はまだ俺の中で生きていると言ってやろう、決して忘れない、と。

« Get it while you can | トップページ | 空から本 »

コメント

ちょうどさっき『アフターマス』を聴いてて、「なんていいアルバムなんだ。今日みたいな日―どういう日かいまいちわからないけど今日みたいな日―に聴くと一層泣けてくるなぁ…」なんて思ってたところ。

なるほど今日は彼の命日だったのか。ありがとう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/85610/7007039

この記事へのトラックバック一覧です: デッド・フラワーズ:

« Get it while you can | トップページ | 空から本 »