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2007年7月30日 (月)

スサノオ遊学2

このときの描写として書紀の一書は「青草を結束(ゆ)ひて笠蓑として宿を衆神に乞ふ」と書いている。
重要なのは笠蓑を作ったことであり、おかげでスサノオは日本で初めて蓑=箕作りをしたということになっている。
ここで想起されるのがサンカら箕作りの被差別民たちだ。彼らの伝承ではスサノオを自らの親神としていたのがあったような覚えがある。しかし何よりも重要なのは彼らが箕作りの民で、かつ漂泊の民だということだ。これは、スサノオが笠蓑を編んで放浪したという先ほどの記述とまったく符合すると思われる。スサノオの姿にサンカが重なって見えて仕方がない。
実は日本書紀の一書にはスサノオは一度朝鮮半島に降臨してから日本に行ったという記述がある。
このときスサノオは息子の五十猛命を伴っており、新羅のソシモリという所に降りたのだという。ソシモリのソシは牛、モリは頭ということで、牛頭ということらしい。
ところで牛頭天王という仏教・陰陽道系の神がいる。祇園精舎の神だった縁で今は祇園神社に祭られている。スサノオと同体とされている。
牛というところが肝心で、陰陽道では丑寅は鬼門なので牛頭天王は鬼門の神、金神となっている。
陰陽道の源流である中国では、神話にシユウという魔王が出てくる。こいつの実体は牛の化け物なのである。
牛というのが魔王と結びつくというのはしばらく続いたらしく、あの有名な牛若丸にもその片鱗は窺える。というのも牛若丸の別名は遮那王であり、遮那王の由来は伊舎那天という仏神からであり、この伊舎那天と同体なのが知る人ぞ知る仏教世界最強の魔神・第六天魔王のことなのである。
話を戻そう。スサノオは木の種を持って日本に帰り、息子とともに種を蒔いて日本を緑の豊かな国にしたという。だから二人は熊野に祭られ、そこは木の国、後に紀ノ国と書くようになったという。
なぜ上陸した出雲でなくて熊野なんだ?と思う。思えば熊野はイザナミが祭られたところでもあった。イザナミースサノオのラインである。
しかし、これだけでスサノオが共に祭られるというのも変だ。それに朝鮮から来たら対馬海流に乗って山陰に上陸するのが自然である。
では熊野に上陸したのは誰か。2つの有名な伝承がある。1つはあまりに有名な神武天皇の上陸劇であり、もう1つが徐福伝説である。

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