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2007年8月 6日 (月)

素玄定理

僕が経験した友人関係には二種あって、それは名づけるなら素人と玄人に分かれる。
素人タイプはリアルタイムに何かしつつある友人関係のことで、その後の関係の全ての土台となる時期だ。素人と銘打ってはいるが、この時期の瞬間が一番貴く、とかく永遠性を帯びるものだ。
しかし人間生活に不変なものはないので、別れのときが必ず来る。そして、それが永遠の別れなら、以下の話は無効である。
さて、別れてしまった、もしくは黄金期が過ぎた後の友人関係こそ、玄人関係である。
はっきり言えば、何もなすことがない。何も話す必要もないし、聞く必要もない。だがそれは悲しいことではない…だから玄人というタームを使うのだが、“話さなくてもわかっている”という暗黙の了解がそこにはあるのだ。それはもちろん素人時代において様々なことを共にした、という実感がなせるわざだ。そして、それこそが玄人の良さなのだ。
しかし当たり前のことだが、話が弾む場合がある。しかし、それはほとんどが素人時代に関する昔話やその延長線である。つまり、基本的には何も“新しい”ことはないのだ。だから、創造的な会話など決してあり得ないだろう。
だが、それが素晴らしくのだ。「友、遠方より来たる、また楽しからずや。」…このセンテンスの友とは、玄人の方に違いない。あの人生の楽しみを知る爺さんのことだから、きっとそうなのだろう。
さて、もちろん素人玄人の別は固定したものではなく、玄人が素人になることもあるだろう。そう考えると、さらに人生に果てしない楽しみを見出すことができる。

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コメント

素人期を致命的に険悪な雰囲気で通り過ぎ、知り合って10年以上経って今なお離れるわけでもなく分かり合える事もなく過去を振り返りもできず新しい事ばかり……そんな浮笑、玄人期はいつ来るのか…そんときが終わりかもな。

※この商品は普遍化されていません。ましてや浮笑!


最澄ー空海の関係とか中原中也ー小林秀雄とかプラトンーアリストテレスとか、いろんなことを超越した友人関係ってのも興味をそそられる。

でも個人的にはそういう“いろんなの”はないほうがいいな…

玄人期がいつ何時素人期に変わるかわからないというのも玄人期の楽しみのひとつだね。

話はズレるけど、俺達がギターを手に共に成長(弱冠引っ張られ気味なのは俺)できたのは良かったと思う。ギター教室なんかに通って受け身姿勢になることもなく(ボン・ジョビ除く)、常にお互いに干渉してやってこれたのは自分達にとってかなりプラスなことだったと。

うまく説明できないけどそんな感じ。

確かに、音楽とか以前に何か得られたよなあ。上手く説明できんが、ランボーの永遠みたいなもののような気がする。

ってことでキャラバンは一夜限りの再結成します。

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