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2007年8月 8日 (水)

自然について、および構想

僕は別に特別自然豊かな土地で育ったわけでもないが、昔から“自然”という具体的な存在が気になり続けていた。
自然破壊というものはいくら防ごうと“自然破壊という精神”から自らを解放しない限り際限がないとも考えるようになった。
そんな中、哲学に興味を持ったのも当然といえるかもしれない。動物は機械だと言い放つデカルトは近代という精神、科学という精神そのものだったし、資本主義の精神は帝国主義と環境破壊に向かうということも知ったりした。
それは逆に、“自然破壊という精神”に対抗できる精神を探す旅でもある。理性から感覚を取り戻すエピクロス、“繊細の精神”で直観を守るパスカル、感性の科学を探るゲーテ、“神および自然”のスピノザ、人間主義すなわち自然主義と説くマルクス…さらに“詩歌の世界”の科学者たる寺田寅彦、神秘としか形容のしがたい三木成夫、共存を根に持つ進化論をもとにした“自然学”を提唱した今西錦司…彼ら日本の科学者の自然観にも非常に影響を受けた。もちろんそれは東洋の自然観を根底に持っている、ということだ。
そこでこの夏ずっと構想しているのが、それらを有機的に結合させて一つの有機体的精神を作ろうというものだ。
いや、精神を作るという言い方もおかしい。精神はかつてあったのだ。それはつまり化石を掘り出して組み立てて一つの恐竜にしようというのに似ている。
もちろん全く同一の復元は期待できない…化石に色がないように。昔ならそこに宗教を使うのだろうが、僕はもちろん使わない。直観を使うのだ。
何にせよ、研究がまだまだ足りない。しかし作りたい。

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