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2007年9月11日 (火)

文化祭セレナーデ

…ええ、わかりました、はい。

すみません、お話を続けましょう。どこからでしたっけ?そうだ、文化祭のお話からでしたね。

だいたい僕はいつも勘違いされることが多くて、協調性のない自由な個人主義者と見なされるんですね。教員はほとんどがそう思ってるんじゃないでしょうか。しかしですね、それが間違っているとは言いませんが、それが全てじゃないんです。

たしかに僕は一人で帰ったり一人で出かけたり一人で買い物したり一人で本読んだり…と一人でいることが少なくない。ですけどね、それは僕の趣味だったりと非常に内面的で私的な場合なんですね。特に多趣味な方は気持ちをわかってくれると思います。

もちろん、僕自身の信条が単独行動を誘うこともあります。集団をコントロールする意図が見えた場合には間違いなく抜け出しますし、意味もなく群れたり徒党を組んだりするのは不快なのです。

しかしそれによって完全な個人主義者と断定するのは間違っているはず…僕は集団の楽しさや強さを知っているつもりだからです。

同じ目標のためにチームが邁進する、というのは決してスポーツマンだけの特権ではないはずです。むしろ仲間がいるものの特権である、と思います。

だから特に何かなければ文化祭準備をやっていたりするんです。去年までは部活やらなんやらでなかなかやらなかったんですけどね。

しかも僕は塾とか行ってないので、途中で帰る理由もないんです。だから最後まで残ってしまって結局受験勉強がほとんどできないって日が最近ずっと続いてる、とこういうわけです。

まあそれはともかくとして、こうした活動のカタチは、マルクスが難しく語る分業より協業へ、の協業ってことと同じなんじゃないでしょうか。分業なら各人が疎外されてくんですが、協業なら各人が“喜び”を感じるとマルクスは言うのです。僕たちは協業していると思います。みんなでモノを創るって、本来楽しいはずでしょう。

だから僕にとっては思想の実践や実験とも言えるんです。もちろん意識はしてないんですけどね。


閑話休題。小林秀雄は結局全ては文体だ、なんてことを言ってたが、確かにそれもわからなくもない。太宰治なんかはそのへん上手く利用してたし、ベルクソンがノーベル文学賞もらったのもそういうことだろう。

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コメント

もうすーっと帰ってたな!クラスTシャツも着ない、当日の分担とかにもかかわらない、誰も居ないナントカ室でひとり胡坐をかいている…二日目は休む…そんな文化祭でした。

集団行動の楽しさ、喜びは、記憶(思い出)を共有できるってのが大きい気がする。

俺も文化祭とかの準備は最後までいる方だわ。
良く聞くセリフだが受験勉強より今しかやれないことをやる方が良いと思う。
協調性を重んじるあまり自主性を見失うのは問題だが、協調性は大切だと思う。
結局社会は全体のためにあり、そのなかでの最大での基本的人権の尊重だしね。
文化祭頑張れ

去年の文化祭には、客呼び込みのためにメイド服着ましたお化け屋敷なのにー(笑)

私も結構
単独行動ばかりだけど、
その分色んな方と友達だから、
文化祭になるとリーダーとかにさせられるタイプです


でも一つ一つの行事って自分の中で結構大きいよなーて思います
ハレもケも存分に楽しみましょうね

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