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2009年1月21日 (水)

ぼくと時代とマンガと文学

ぼくは、世界史的な意味で「現代」を定義するならば、60年代をその初めに位置するべきものだと思う。なぜならあの十年間こそが一大分水嶺であり、月並みな言葉でいえば高度資本主義社会を完成させたからだ。

ぼくは大塚英志のマンガが好きで、それから彼の批評も読むようになった。彼の柳田民俗学に対する評論などはとても面白かった。
彼は『「彼女たち」の連合赤軍』で60〜70年代の全共闘世代=少女まんが台頭期を、『おたくの精神史』で80年代のニューアカ/新人類/おたくを、『サブカルチャー文学論』で80〜90年代の文学を描く。極めつけは『更新の文学』で、00年代にもメスを入れているらしい(まだ読んでない)。
ぼくは基本的に彼の批評を信頼している。マンガ好きはすべからく大塚英志を読むべきだと思う。

にしても、00年代という言葉。これには驚いた。自分が生きている時代が歴史的に規定されるのは初めてだからだ。
正確に言えばぼくは90年代には存在していたが、ぼく(ら)の時代、というやつは、ぼくがプレステ2に熱中している間にニューヨークで飛行機がビルに突っ込んだその瞬間から、始まる。

思えばぼくは「現在」というやつにあまりにも鈍感だったのかもしれない。それはコールドプレイを聴かなかったというためだけではなく、リアルタイムな世界にあまり興味を抱けなかったからだろう。ずっとずっと過去に興味があった、小さな歴史家だ。

今日たまたま書店で浅野にいおの短編集が売っていて(関係ないが浅野の男性キャラクターはくるり岸田を連想する)、ゼロ年代を代表する漫画家とか書いてあったものだから、買って、読んだ。そして理解できて、感動した。俺にも現在の感性はある、と確信できた。
浅野の作品には終始喪失感がある。これはぼくらにとっては当たり前の真実で、馬鹿な先行世代がバブル後の世界を生み出したことや、新自由主義経済で気づけば格差社会になっていたことや、飛行機がビルに突っ込んだことや、ニュースの大半が暗いことや、まあ要するに、それまで信じてこれた何かが失われた、価値なき世界、信仰なき世界にぼくらはいる、ということだ。
だからそれに耐えきれなくなってオウムに回収されたりボランティアに回収されたり、「国家」に回収されてネトウヨになったりする。みんな信じるべき価値あるものが欲しいのだ。
浅野にいおが描くのは、そんなぼくらの時代のためのマンガである。

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